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未来教室 第4回 うたうことは生きること~ハンセン病を学ぶ~ ~歌手 沢知恵さん~2022.09.30 Update

未来教室 第4回 うたうことは生きること~ハンセン病を学ぶ~ ~歌手 沢知恵さん~

ゲストスピーカー

~歌手 沢知恵さん~

内容

2022年9月30日に、3期アスエコ未来教室第4回が開催しました。
第4回の未来講師は、歌手の沢知恵さんです。
 

アスエコ未来教室とは?

アスエコ未来教室とは、公益財団法人岡山県環境保全事業団の環境学習センター「アスエコ」が行なう、中学生向けの6か月間の教室です。
各回ごとにゲスト講師を招き、講師の方が取り組んでいる活動や、その中で感じること、考えたことについての話を聞きます。

詳しくは、以下のサイトをご覧ください。

アスエコ未来教室|公式ページ  中学生向けSDGs学習公益財団法人岡山県環境保全事業団環境学習センター「アスエコ」が運営する中学生向けのSDGs学習教室です。登録制のため、学校www.kankyo.or.jp
 
活動の内容

今回の活動は、以下の通りです。

1.チェックイン
2.ゲストトーク
3.アウトプットセッション

 

グループ内で、自己紹介と「最近あったこと」を話します。
前回と同じグループで、最近どんなことがあったかを紹介しつつ、一緒に学んでいる相手のことをさらに知ることができる時間でした。

第4回の目標は、以下の2つです。

・人とちがうこと、人とかかわることを考える
・みんなの声を聴き合う、リーダーシップを発揮する

「リーダーシップがある人」とは、どんな人なのでしょうか。
また、自分にリーダーシップはあるのでしょうか。
ゲストトークの前に、まずは自分でリーダーシップについて考えてみます。

 

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また、アスエコスタッフの2人が思うリーダーシップについて、てっちゃん先生は「決断すること、謝る力」、かっしー先生は「人格」が必要だと話してくれました。
いろんな人と積極的に関わってみることも、第4回の目標に含まれているのです。
 

ゲストトーク

第4回の未来講師は、歌手の沢知恵さんです。
沢さんの半生を振り返るとともに、沢さんのライフワークとなっているハンセン病についての話を聞きました。
 

沢さんについて

 

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ゲストトークの初めに、沢さんがうたってくれたのは、アメリカの賛美歌であるアメイジンググレイス。
沢さんが育ってきた3つの国の言葉で、アカペラで歌ってくれました。
教室の中に沢さんの歌声が響き、思わず息をするのを忘れてしまうくらいに、その場にいる誰もがその歌声に引きこまれます。

その後、沢さんは童謡「ぞうさん」を歌い、この曲の歌詞が作られた背景について教えてくれました。
「ぞうさん」は、團伊玖磨作曲、まど・みちお作詞の童謡です。
「ぞうさん」の歌詞は、ぞうさんがからかわれている情景を思い浮かべて作詞されたそうです。
ですが、ぞうさんはからかわれていることを嘆くのではありません。
ぞうさんは、自分がぞうであることを嬉しく思っており、みんな違うからこそ仲よくしよう、という歌詞なのです。
歌詞の意味を理解した上で、今度はみんなで「ぞうさん」を歌います。
沢さんが歌った、最初の「ぞうさん」とは違う響きが、中学生の心の中に残ったように見えました。

その後、沢さんの両親の馴れ初めや沢さんの幼少期についての話をしてくれました。
沢さんの父は戦後初めて韓国に留学した日本人で、留学先の大学で出会った女性に恋をしたそうです。
意を決して告白するも、断られてしまいます。
その理由は「日本人だから」。
戦後の韓国では反日教育が行なわれており、日本人に対していい印象を持っていない、というのが一般的だったのです。

 

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話を聞く中学生の表情は、一人一人違っていました。
メモを取る人もいれば、じっと沢さんを見つめて話を聞く人もいます。
一人一人、沢さんの言葉を聴いて、受け止めようとしているようすがはっきりと見えました。

続いて、子どものころの沢さんの生活や家族についてのお話でした。
沢さんの母はNHKが行なっていた外国人の日本語弁論大会に3回出場し、うち1回は優勝したそうです。
沢さんが子どもの頃、ハーフの子は「あいのこ」と呼ばれ、差別的に表現されていました。
しかし沢さんの母はそれを「愛の子」と表現したのです。
お父さんとお母さんの「愛の子」があなたなのです、と話す沢さんの表情は優しいものでした。

沢さんは3歳からピアノを習っていました。
また、日本だけでなく、2歳から6歳の間は韓国に、高校の1年間はアメリカに住んでおり、いろんな国の音楽を聴いたそうです。
大学進学では音楽を学べる大学を選び、音楽学を専攻します。
そのかたわら、20歳のときに歌手デビューし、大学生と歌手の二足のわらじを履いて活動しました。

沢さんにとっては、人と違うことが当たり前だったそうです。
自分が認められたいと思ったときに、人から見た自分はどう思われているだろう?と考えるのではありません。
どう思われていてもいい!人と違っていてこんなに面白いわたしを見て!」と考えている、と教えてくれました。

沢さんの生い立ちや、音楽、歌との関わりについて中学生から質問が飛び出します。
そのひとつひとつに丁寧に答えてもらい、中学生の中に芽生えた謎や気になることを解消していきました。

そして、ゲストトークは沢さんとハンセン病の話に移っていきます。
 

沢さんとハンセン病患者

 

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ゲストトークの後半のはじめに、詩人である塔和子さんの「胸の泉に」という作品の、沢さんによる朗読を聴きました。

塔和子さんは、13歳のときにハンセン病のために大島青松園という療養施設に入所し、生涯をそこで過ごした詩人です。
ハンセン病とは皮膚の感染症で、感染力が最も弱い感染症の一つと言われています。
現在では薬が開発され完治する病となっていますが、塔和子さんがハンセン病を発病したときには、まだ薬がなく、不治の病と言われていました。
また、ハンセン病は発病したことが見た目でもわかる病気だったことから、差別の対象とされた病気でもあります。

日本でのハンセン病患者に関する法律が初めて制定されたのは、1907年のことでした。
このときには、町をさまよっているハンセン病患者を全国5つの療養所へ入所させるだけの法律でしたが、1931年にその状況が変わります。
1931年の法律では、ハンセン病患者を一人残らず療養所へ収容させることが定められたのです。
その後、1960年代には隔離の必要がなくなりましたが、ハンセン病患者に関する法律が廃止されたのは1996年のことでした。
その間、療養所へ収容され、想像を絶するほどの制限とともに生活してきた人たちが、ピーク時には1万人以上いたそうです。

 

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沢さんが初めてハンセン病療養所に訪れたのは、生後半年の頃でした。
ハンセン病療養所は山の奥や島にあることが多く、沢さんが父親と訪れた大島青松園も島にあったそうです。
まだ小さい沢さんを抱いた沢さんの父が桟橋に現れると、療養所の人たちは大興奮した、と沢さんが話してくれました。
これは沢さん自身の記憶ではなく、父から聞いた話だそうです。

時間は経ち、沢さんの父が亡くなった後、父の足跡を追いかけて沢さんは大島青松園へ足を運びました。
沢さんには、生後半年の頃に訪れた記憶はないため、「はじめまして」のつもりで訪れた大島青松園で迎えてくれたのは、生後半年の沢さんを覚えていた療養所の人たちでした。

船を降りると、満面の笑みと大粒の涙で「知恵ちゃんよく来てくれたね!」と言ってくれるようすに、沢さんは圧倒されたそうです。
この時のことを振り返り、沢さんは、このように話していました。

人が人を覚えているって、なんて大きな愛なんだろう、と思いました。
名前の呼び方が、ずっと私と関わっていた人だったかのような感じだったんです。

 

それから、仕事で中四国に来るたびに、大島青松園へ足を運ぶようになった、と沢さん。
また、「一人でも多くの人に、生きている間にお返しがしたい」と、2001年から大島青松園でコンサートを毎年開催しているそうです。

ハンセン病療養所では、娯楽も自分たちで生み出さなければなりません。
そのため、音楽が盛んにおこなわれていたそうです。
吹奏楽団、民謡クラブ、ハーモニカの団体など、音楽の活動をしている人たちはたくさんいるのに、誰もそのことを研究していませんでした。
そのことに気づいた沢さんは、47歳のときに岡山大学大学院へ進学し、ハンセン病療養所の音楽文化を研究し、2021年春に修了しました。

人間は白黒だけでは語れず、どの人にも白と黒の両面がある、と沢さん。
音楽そのものが人間のあらゆる営みを写しだすのです。
何よりも大事なのは人の想いで、歌手だからこそできる研究もあるのではないか、と思い、沢さんは今も音楽の研究を続けています。
 

おわりに

 

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沢さんはゲストトークの最後に、会場にいた人たちに問いかけました。
「みんなは何のために勉強している?」という問いに、さまざまな答えを思い浮かべたはずです。
その問いには、それぞれの答えがあって当然なのです。
沢さんから伝えられたのは、「今一番好きなことをしなさい」ということでした。
もちろん制限はありますが、その瞬間でやりたいこと、好きなことをやることが大事だと、沢さんは話します。

沢さんはゲストトークの最後に、以下のように話してくれました。

親はあなたの人生に責任をとってはくれないから、自分が幸せになることが一番の親孝行です。
だから、あなたが好きなことをしてほしい。
どうしてこうなんだろう?と思ったときは、一歩踏み出して知ろうとしてください
知りたい、好きだという思いをうんと大事にしてください。

 
アウトプットセッション

 

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第4回のアウトプットセッションでは、感想や質問を考える前に、自分と向き合う時間を設けました。
沢さんのお話を受けて、自分はどう思ったのか?ということを、一人一人が自分と向き合って考える時間です。
今までの未来教室でのアウトプットセッションの雰囲気とは異なり、とても静かでした。
みんなの言葉を聴き合う一方で、自分との対話も必要になります。

 

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中学生からの質問の一部を、以下に共有します。
 

Q.沢さんが大事にしていることはなんですか。
A.今大事にしているものは、睡眠です。
周りも自分もハッピーに、そしていい仕事をするために、睡眠を大事にしています。
 

Q.沢さんにとって怖いことってなんですか。
A.逆に質問します。あなたの怖いことはなに?
(質問した中学生は、不幸であることが怖いと話しました)
人生には必ず、不幸がついてきます
私が出会ったハンセン病患者さんは、本当に優しい人が多いです。
どうしてこんなにも優しいんだろう?と考えてみたら、ハンセン病患者さんたちはあまりにも不幸だったんです。全員が死を考えるほどの不幸だった。
私にとって、愛する者たちとのささやかな日常が奪われることほど不幸なことはありません。
怖いことが不幸だとするならば、今与えられている、愛する人たちとの幸せが奪われることが私は一番怖いです。
 

Q.沢さんにとって「思い」ってなんですか。
A.いろんな思いがあるけれど、いちばん大きいのはです。
愛とは、なにか、だれかを好きでいることだと思っています。
世界の歌の9割以上はラブソングなんです。だって、歌に聴き手の思いが重なるから。
 

中学生だけでなく、大学生スタッフ、アスエコスタッフにも大きな響きを与えてくれた、沢さんのゲストトーク。
すぐに思ったことを言葉にするのは難しくても、自分と向き合う中で少しずつ言葉を見つけていけると良いな、と思う時間でした。
 

さいごに

第4回未来教室は、未来講師の言葉を聴き、一緒に参加している中学生や大学生スタッフの声を聴き、さらに、自分自身の声を聴く回になりました。
自分がどう感じたのか、言葉にするのが難しかった人もいるでしょう。
わからないことがあって、もやもやした感覚を持った人もいるかもしれません。

でも、それでいいのです。
わからないことをわからないと自覚できることも、わからない状態を受け入れられることも、また、大切なことなのです。
 

次回の未来教室は、10月28日(金)に開催予定です。
未来教室も残すところ、あと2回。
中学生のようすに、この先も注目です。